弔い直し
2021/09/19
弔い直し
先日、NHKのクローズアップ現代+「家族と“悔いなく”別れたい 多様化する葬送」を見ました。コロナ禍の中で看取りが出来なかったり、突然の別れで十分な準備もできずに流れ作業のように葬儀を行ったりで、家族の弔いに心残りを抱えている場合に、葬儀や供養を「やり直す」ことを「弔い直し」と呼んでいくつかのケースを紹介していました。
一つ一つを取り上げることはしませんが、家族を見送る気持ちや方法はそれぞれであることを改めて感じました。
葬送の儀礼は、亡き人を思う気持ちを形にしていくものですが、定型化することから形骸化につながることもあります。また、簡略化が進むことで気持ちを掬いきれなくなる場合もあります。実際の現場では、ご家族ごとに気持ちや感情も違えば、その表し方もそれぞれで、例えばご遺体を家に連れて帰るかどうかにも正解はありません。葬儀の際に十分に気持ちを表すような儀式ができるのが理想かもしれませんが、大切な人を亡くし気持ちが動転していることもしばしばですので、なかなか難しいことでもあります。そういったときはこの番組の言う「弔い直し」をするということになります。
ただ、それは特別なことではなく、昔から行われてきた各種の法要がその役割を果たしているのではないかと感じました。葬儀のあと一週間ごとに行う中陰のお勤め、満中陰、百箇日、初盆、年回法要はもともと葬儀だけでは満たし切れない思いを汲んでいく意味もある仏事です。
葬儀を始めとする儀式の形は、お釈迦さまや宗祖方が「こうしなさい」と決めたものではなく、教義に基づき長年かけて作られてきたものですが、時代、地域、そして気持ちに沿う形で行うことに大きな問題はないと考えます。番組では僧侶でありジャーナリストでもある方が、弔いたい気持ちを故人と共鳴させること、仏法を通して故人とつながることの大切さを説いておられました。西明寺でも、葬儀だけでは満たされなかった感情があればそれを尊重し、じっくり話し合って亡き方を思う気持ちを形にする法要をお勤めいたします。