自灯明 法灯明
2020/08/28
自灯明 法灯明
自灯明 法灯明
自らを灯明とし自らを所依とし、
法を灯明とし法を所依とせよ
「自灯明 法灯明」は釈尊遺言の説法と言われているものです。
釈尊が入滅することを知った弟子の阿難は、師である釈尊亡き後、自分はどのように生き、悟りへの道を歩めばいいのかを問いました。約25年、釈尊のそばで教えを聞き、自らの愚かさ、身勝手さを知らされてきたからこその問いです。
その阿難に対して釈尊が答えたのが「自灯明 法灯明」でした。
「自」すなわち「みずから」とは問いを発した阿難であり、自らの愚かさや罪深さを知らず、自己を絶対化している傲慢な自己中心的な「自」ではありません。
(以上、内藤昭文師『自らを知らされる』より)
人に質問をし、答えを求めるとき、このような真剣な思いと自己認識からの問いであることは少ないかもしれません。しかし、本当に悩み、自分では解決できないことを問うなら、自己中心的な「自」ではなく、問いを発した「自」を大切にし、信頼して問いを向けた方・問いを受け止めた方の答え、真理(法)を、ともしび、すなわち頼りとしなければ、問うた意味がありません。